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きみ住む町で 3

 投稿者:こぶ  投稿日:2012年 8月19日(日)21時25分16秒
返信・引用
  翌日再び彼女の家を訪れた。

病気ではないが、老いのため年齢相応に動きにくくなった体だけど
元気に家事をこなす、彼女の母がいた。
彼女が、花連に戻った、理由の一つが、この母の存在である。
僕が、台湾から去ったのが原因だとは、間違っても彼女は言わないし
年老いた母親を一人、置いておく辛さがあるのは、間違いない。

台湾では、一定以上の年齢の方だと、日本語を解する方が多くおり
彼女の母も、その年齢ではあるが、ベトナム出身なのだから言葉はできない
僕は、そう思っていた。

彼女は無論、日本語はできないし、彼女の兄弟姉妹もしかりであるから
当然できないと思っていたのに、彼女の母から、流ちょうな日本語がでてきた
時には、流石に驚いた。

僕以上に、彼女の方が驚いてはいた、まさか自分の母親が日本語ができるとは
全く、知らなかったのです。

彼女も後に語っていましたが、考えてみれば、できて当然、それに気づかなかった
自分が、迂闊だったと。
彼女の両親は共に、中国系ベトナム人つまり華僑です。

中国人社会と言うより、アジアでは、地縁血縁の繋がりが重要視されますが、
中国人社会では、その繋がりが特に深く、華僑社会でも同じ事があります。

両親は共に福建省の出身、その繋がりから母親は、ベトナムにいた父親に嫁いだ
そうである。
彼女の母は、幼い頃、厦門(アモイ)に住んでたが、経緯は知らないが、
小学校に入る頃には、台湾に移り住んだそうである。
日本統治時代に教育を受けたのですから、日本語ができるはずです。

台北師範学校卒業後、教師になる予定が、同じ福建省の出身の父親の元への
縁談話で、ベトナム行きと、なったそうです。

その話しを聞き、彼女の一族が台湾に逃れた訳も、わかった次第です。

彼女との結婚は反対されませんでした、しかし、もう二度と会えなくなるかも
知れない、そんな思いが、彼女の母にはあり、やはり、いい顔はされません
でしたが、僕に寄り添う娘を見て、渋々ですが、あきらめの表情を浮かべ
彼女の首に翡翠のネックレスをかけてくれました。

結局それが、形見となり、彼女は、生涯身につけてました。
いまそのネックレスは、私が持ってます。

僕も長期の休みが取れるほど、暇でもなく、もう少しと言う気持ちも
ありましたが、翌日花連を離れる事にしました。

僕が初めて、この地を訪れたのは、彼女と知り合い一年くらいしたとき
でした。
その時は、台北から列車で来ました、車中大きな口開け弁当の豚肉食べた
思い出が、今頃になり、蘇ってきます。
ただ、その時は出張で高雄へ行く途中だったので、彼女の母に会う時間もなく
彼女を花連駅に残し、高雄へと向かいましたが、もし、その時会ってれば
彼女を残し、シンガポールに赴任することは、無かったかも知れません。

空港へ向かうタクシーに乗るとき、彼女には、ためらいがありました。
「もう母に会えない気がする。。。」
ぽつりと言った言葉が、忘れられません。

つづく
 
 

きみ住む町で 2

 投稿者:こぶ  投稿日:2012年 8月13日(月)19時25分33秒
返信・引用
  タクシーでホテルまで行く途中、大理石加工場の前で降り
花連港へと続く道を二人で歩くことにした。
ホテルとは反対方向だったけど、カムラン湾で育った君には
懐かしい光景なんだろうと思ったよ。

「ホテル予約してるの?」
予約してる、マーシャルホテルだよ。。
すると君は、ふっと笑った。。
どうかしたの?

「私が初めて花連に来たとき泊まったのが、マーシャルなの」
「あのホテル漢字で書くと、統一大飯店でしょ。。」
「皮肉だと思った。。」
「私の国は、ホーチミンに攻められ統一された」
「でも、私も家族も、一緒に脱出した一族の人達も、統一されたなどと
誰も思ってない」

「その私が、統一の文字を冠するホテルに泊まるのって凄く変だと思った」

彼女の気持ちは、痛いほどわかった。。。
国を追われ、やむなく中華民国国籍収得した物の、よそ者扱いされ多感な時期を
送ることになったことが、君を強くしたのかも知れない?

でも、僕の前では、一度だって強さ見せたことがない。
頑固では、あったけど。。。

ホテルの部屋で、遅くまで語り合った。

僕のシンガポール行きが決まったとき、嬉しそうな顔して祝って
くれたね。
別に栄転でも何でもないのに。。。

君を無理矢理にでも連れて行きたかった。
そうすべきだった。

君の優しさに甘えていたんだと思う。

昼は日系旅行社に勤め、夜は、お姉さんのコーヒーショップの手伝い。
僕と暮らすように、なっってからも同じだった。

貧乏駐在員とはいえ、台湾の平均的サラリーマンよりは遙かに収入も
あったから、働かなくていいと言ったのに、君は辞めなかった。

それが、誇りであり優しさだった、僕に負担かけまいと、頑張ってた。
丈夫とは言えない体で無理してる君見るのが、辛かった。

台湾を去るときも、ニコニコしながら見送ってくれた。

そんな君が、台北を去り、花連に引きこもったと、君の姉さんから連絡貰ったときは
涙が出たよ。

だから、来た。
無理矢理でも、シンガポールに連れていくために。
君に日本国籍取れとは言わない、心の中では南ベトナムが唯一の祖国
そう、思ってることは、知ってるから。

つづく
 

きみ住む町で

 投稿者:こぶ  投稿日:2012年 8月12日(日)18時57分26秒
返信・引用
  花連港近くの小さな漁村を訪れる。
一昔前までは、寒村と言う言葉しか思い浮けば無いような
村の面影は、今も残るなか、綺麗に舗装された道路が、村を
串刺しにするように、通っている。

道路際には等間隔で、トーチカと高射砲陣地が並んでる
海岸際は、無粋な上陸阻止防護壁が続き小さな村はまるで
戦場で彷徨ってるようにも見える。

しかし何処を見ても、人影はない。
兵士は、地下に潜り、時々監視所に姿を見せるが、それも
一瞬で、またすぐに消えてしまう。
村人は、息をひそめ、家にこもってるのか?
それとも、漁にでてるのか?

防空演習中とは知っていたが、ゴーストタウンを歩いてるような
感じだった。
村の中程にある、君の家を訪ねると、嬉しさと戸惑いで、逃げるような
そぶりを見せながらも、君は小さな庭の隅で、僕の胸に顔をうずめ
消えそうな声で「愛?・・・」

君が台北を去り、一ヶ月余り、花連に戻った事は知っていた。
育ったカムランに似ていて好きと言ってたね。
似てはいても、所詮は他国、馴染めるはずもないのに、無理して
故郷と言う君の悲しみ、早くわかってやれば良かった。

消えてしまった祖国に、連れていってやる事はできないけど
もう離さないよ。
南ベトナムから台湾そして日本。

この国が、君の祖国に相応しいかどうかは、わからない
でも、僕がいる。

つづく
 

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